『岸壁の母』のモデルになった方。。。。。。
2000年8月に明らかになった事実・・・・・
ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、のちに満州に移され中国共産党八路軍に従軍。その後レントゲン技師助手として上海に居住。妻子をもうけていた。新二は母が舞鶴で待っていることを知っていたが、帰ることも連絡することもなかった。理由は様々に推測され語られているがはっきりしない。 新二を発見した慰霊墓参団のメンバーは平成8年(1996年)以降、3度会ったが、新二は「自分は死んだことになっており、今さら帰れない」と帰国を拒んだという。旧満州(現中国東北部)の関東軍陸軍石頭(せきとう)予備士官学校の第13期生で構成される「石頭五・四会」会長・斉藤寅雄氏は「あのひどい戦いで生きているはずがない」と証言し、同会の公式見解では「新二君は八月十三日、夜陰に乗じて敵戦車を肉薄攻撃、その際玉砕戦死しました」と述べられている(北國新聞社平成18年(2006年)10月4日)。
http://subaru-world.com/subaru2/wakasa/web/14-hanashi.htm
他人がどうのこうの言えることでは・・・・・ないわなぁ。
母国の代表として母たちが活躍したんやなぁ。
引揚げ促進に尽力された方。。。。。
決意表明や嘆願書、氏への感謝の手紙などが展示されてあった。
あまりの迫力に写真は撮れなかったなぁ。
人生有限名無尽
人生限りあり、名は尽くる無し・・・・・・・
「人生には限りがあるけれど、その人生を何に使うのか。無名の一庶民であっても社会に尽くす」
という意味らしい。。。。。。。
豹死留皮豈偶然 湊川遺蹟水連天 人生有限名無盡 楠氏精忠萬古傳 |
豹は死して皮を留む 豈 偶然ならんや
湊川の遺蹟 水 天に連なる
人生限り有り 名盡くるなし
楠氏の精忠 万古に伝ふ
綺麗な器やなぁ。。。。。。。
いろいろ考えさせられた。。。。。。
帰ってきてからもいろいろ勉強になったなぁ。
赤れんが博物館でも引揚記念館でも、撮影禁止ゾーン以外では結構写真を撮らせてもらった。
撮ってるときに感じた事もあれば、これは後で調べてみようと思って撮ったものもある。
それは車両の写真でも同じで、気になる部品のロゴマークの鋳込みとか、ラベルであるとかサイズ表記とか・・・
いつも馬鹿みたいに沢山写真を撮っているけど、結構そういう部分も撮ってる。
基本的にそんなに頭はよろしくなくて、部品や車両のことに関しても社会のことに関しても極めて無知であると痛感するし、だからこそ勉強したいなとも思う。
知識だけ詰め込んでもしゃーないけど。。。。。。
いちいち調べたりして記事を書くのは時間もかかるし結構しんどいけど。。。。。。。
表面をツルッと見てるよりも楽しいのであります。
バイクを観させてもらうときも面白いところとか参考になるところとかを探し回って観てるほうが断然楽しいし、Showって言う時間をとても長く楽しめる。
今回の記事にしても、たった一日のことを一ヶ月もかけて書いてるんやなぁ。
馬鹿みたいやけど楽しい。
楽しむっていうことの原点やと思う。。。。。。。。
そんなこんなで新年会の為、若輪童本陣へGO!
引揚記念館のお話はこれにておしまいであります。