雰囲気のいい廊下。
巨大な強度試験機。
真ん中に試験するものを置いて、右のハンマーが振り降ろされて破壊する。
ハンマーが振り降ろされる
僕達の頭の上に♪
これは何の機械だったか・・・・・
シャフトに細かい歯が刻んである。
これも何の機械だったか・・・・・
これは顕微鏡ですね。
巨大な鋳物。
この引き出しの取っ手イイなぁ。
鋳造を紹介する部屋もある。
OHV。
1937年、喜一郎は、フォード社が採用していた鋳鋼製クランクシャフトの研究を指示した。製鋼所の高周波誘導炉で鋼を溶解し、鋳型にその湯を注いで試作を行った。鋳鋼は、溶解状態の粘性が高いので、鋳型内に行き渡らせるのが難しいことに加え、凝固時の収縮が著しいため、鋳物巣ができやすく、鋳鋼製クランクシャフトの製造には大変な苦労を要した。
挙母工場の完成後は、刈谷の豊田自動織機製作所で作った鍛造製クランクシャフトを用いる一方、第2特殊鋳物工場(鋳鋼工場)で鋳鋼製クランクシャフトの研究を続けた。しかし、鋳鋼製クランクシャフトは、機械加工工程での鋳物巣を埋める手直しが多く、1本に60個の穴埋めを施したものもあった。結局、鋳鋼製では満足なクランクシャフトができず、刈谷の製鋼所で製造された鍛造品も使われた。
鋳物製クランクシャフトの製造技術の確立は、太平洋戦争後まで待たなければならない。1953年1月にダクタイル鋳鉄(DCI)の技術が導入され、1959年10月にダクタイル鋳鉄製クランクシャフトを採用した「P型エンジン」の完成により、念願の鋳物製クランクシャフトが実用化された。
・・・・クランクシャフトひとつにも多大な苦労が。
特殊鋼や工作機械、加工法の研究開発も。
すべて自分たちで造る・・・・
やる気、根気、負けん気ですね。
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