みなさまごきげんよう(*´◒`*)
さて。私の長男は数年前からトミカにハマっておりまして。
コレクションももう100台近くになったのかな。
モノを集めまくる性癖は父親に似てしまったようで残念な限りです。
して、我が家の自動車は日産のNV350キャラバンなのですが
標準車よりホイールベースが長くルーフが高いヤツで
福祉車両や警察車両、救急車によく使われています。
当然、おウチのクルマなワケですからNV350キャラバンのトミカも色々持ってますが
この救急車を見て言うんですね。
スーパーロングちゃうやん!
標準ボディにプラスチックを被せてハイルーフにしただけやん!
ニセモノやん!
これはどういう事なんだと。
箱絵はもちろんスーパーロングハイルーフ。
基本的に結構よくできてるトミカとしては確かに箱絵とのギャップが激しいですね。
そりゃメーカー(タカラトミー)としては救急車の為だけに新たな金型をおこすなんて
非常にコスト高になるので、ラインナップにある標準ボディを流用する。
なぜそうまでしてNV350救急車を出したいかと言うと、売れるから。
消防車、救急車、パトカーはチビッコに絶大な人気がありますからね。
事実歴代で一番売れてるトミカはスーパーカーでも大衆車でもなく消防車です。
メーカーとしては最低限のコストで売れる商品を出したい。
しかし最も注目すべきは、メーカーがこういうモノを作ったという事じゃないんだよと。
ホイールベースが違う=ホンモノと全く違うプロポーション。
それは確かに違和感がある。
でもどうだろう。
違和感を覚えるのはコレを手にしたチビッコ、あるいはその親の何%だろうか?
そこまで求められてない。
コレで十分なんだよとメーカーもユーザーも示してる。
だからそういう結果になってる。
君がコレをニセモノだと憤るのは確かに正しいけれど
コレを手にして普通に喜ぶチビッコたち(時には大きなお友達w)の姿もまた正しいんだよと。
つまり何が正しいとか正しくないとかじゃない。
何をもってよしとするのか。
どこで満足するのか、どこで妥協するのか。どこにそのポイントをもっていくのか。
そして何をして最終的に何を得るのか。
得たモノに対して支払う対価に満足できるのか否か。
そういう事なんだよ。
望めば自分が思うニセモノをホンモノに、他にはない自分だけのモノにする事は叶う。
それに伴う金銭や時間、労力を無駄と思うかどうかなんだよと。
既製品で満足できれば幸せかもしれないけれど
そこから一歩抜きん出る為に汗水流すコトもまた幸せなんだ。
何が正しいとか正しくないとかじゃない。
その判断基準でいけば誰もが正しいという答えに行き着く。
何をもってよしとするか
よしとできない場合はどこまで抗うか。
ポイントはソコだろう。
ってな事をお風呂で小学2年生と話したわけだけど
話しててホントそうだよなって。
ウチなんかにバイクを預けてくる皆さんとダブるんですね。
もちろん自分自身もそうだろうけど。
自分で話した事なのに教えられた気分だなと。
ところでNV350救急車に関しては実は廉価版のポケットトミカでは
きちんと忠実にスーパーロングハイルーフが再現されています。
スケールが全然違う事、素材がプラスチックである事から可能になったんだろうけど
これはメーカーがトミカで出来なかった事をポケットトミカでやったんじゃないかと。
あのトミカのNV350救急車に憤りを覚えた数%のチビッコ(もしくは大きなお友達)への
せめてもの罪滅ぼしであり、メーカーとしての意地なんじゃないかって。
そんなふうに思うんですよね。
多くの人が望む事を叶えるのも正しいし
ごく少数のマイノリティの望みを叶える事もまた正しい。
正しいか正しくないかじゃない。
何をもってよしとするか。
よしとできない場合はどこまで抗うのか。
そしてそういう事に気づけるかどうか。
それが全てだ。
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