2019年7月2日火曜日

福山自動車時計博物館再訪 #9



みなさまごきげんよう。

あっという間に7月ですな。

先月の投稿回数は3回とこれまでに無い少なさで私自身びっくりなのですが

いかんせんやらにゃならぬ事が多すぎる状況でして

ちと不甲斐ないと思いつつ、現況を打破すべく精進したい所存です。


まぁ、やらにゃならぬ。

しなければならないというのは義務的で嫌いなのですが

やりたい事もこれまた沢山あって

やらなきゃならない事がやりたい事を圧迫していたらいけないわけでしてね。

しかし自分で課せた義務もこれまたきちっと果たさねばならず


やりたい事をやるにはそこはクリアしとかなきゃなと思うわけです。

あまり長引くと迷惑をかける事もありますしね。

少しは何かを犠牲にして到達速度を上げなきゃなと。


基本的に与えられた時間には限りがあるわけで、それを如何様に使い切るか

という事なんですが

それが為に義務を果たすだけで時間を使い切ってしまいがちなわけで

本当の夢を見るのは難しいもんです。


時間といえば時計なわけですが、福山自動車時計博物館と言うだけあって

ここには沢山の時計があります。

私は常々、時間という単位を計る時計という機械が不思議でなりません。

と言うか時計が、時間という単位がなければ我々は一体どうなってしまうんだと。


時計が時を刻まなければ時間という概念というか区切りが無くなって自由な気もする。

だけど恐らく、区切りがなければものすごく時間を無駄遣いしちゃうんじゃないかな。

人間ってそういうもんよねー。

そこら辺、虫とか微生物とか他の動物はフルに時間を使い切ってると思う。

まったくピュアだぜ。


で、その時を刻むマシーンである時計ですけれども

ここにあるのは大型で全てが機械仕掛けであって電気じかけではない。

時計に魅せられる人が多いのも頷けますよね。

まぁ調度品だとかステータスシンボルみたいな側面もあるんだろうけど

時を刻むマシーンである事が根底にある魅力だと思います。


それにしても歯車の組み合わせであるのは確かだけれども

一体どういう理屈なのかサッパリサッッッパリわかりませんw


こういう原点的な機構のものは古いほどシンプルという風に思いがちですが

時計に関しては電気じかけの新しいものの方が断然シンプルですね。


だがしかし、このメカニカルな雰囲気に男子はヤラれちゃうんですわな。

否、、、最近の男子はそうでないかもしれないけど

そうであってほしくてたまらないですね。


全体に対してほんの僅かな面積でしかない文字盤。

ここにある数本の針を規則正しく各々駆動する為だけに

この膨大な量の歯車が運動していると思うと脳が痺れてくる。


ただぼーっと眺めていると

作動音がコチコチと気持ちよくて気持ちも痺れてくる。


造形的な要素はほぼ無くて

全面にあるのはひたすら機能。

あとは少しの装飾で

その装飾は作り手の自己主張だったり製品としての価値だったり。

これを見てわかるように、そういうコトは少しで充分なんだな。

とかく工業製品においては。


まぁ色んなことを考えるわけですが。

やっぱりね、家でじっとしてても中々色んな事って考えられないもので

生きる為の活動としての生活であるはずなんだけど

その生活ってのが夢だとかほかの大事な事柄なんかを圧迫しちゃったりして

もう一体何やってんだろうね?

みたいな。


今の感覚としては2.5から3人分くらいの個人が自分の時間の中に在る感じで

ついつい、時間が足りない!って愚痴ってしまうのだけれども

実際のところ、足りないわけじゃないんだなと。

1分1秒を大切に、なんて1秒以上費やしてホザくより

どんな形にせよ前を向いて必死で生かねばならぬ。

必ず死ぬわけだからすなわち誰もが必死なわけだけどもさ。


補強じゃなくて肉抜きが中心になっててカッコいい。

強度を保つように肉抜きすれば意味としては補強と同じだしね。

そういう、引き算の美学っていうのかな。

好きだな。


ストーブなんかも沢山ある。

収集癖ってほんとどうしようもない欲求なんよなー。


誠実さの欠片もなく笑っている奴が居るよ


こういう引き出しにネジとか入れたりして

なんかそういうカッコいい作業場なんかにも憧れるなぁ。


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